ぶち破れ!おれがヤル ! 虎 想い 2019

昨年よりも
偏った選手起用に
来年は期待は持てないかも
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無性に野球がしたくなった!!

2010.10.20 Wednesday

阪神・星野仙一オーナー付シニアディレクター(63)=SD=が
すでに楽天の新監督就任を受諾していることが19日、
明らかになった。楽天側との正式交渉はこれからだが、
盟友で阪神OB会長の田淵幸一氏(64)にヘッド兼打撃コーチ就任
を自ら打診したことも判明。大阪市内で阪神退団の会見を行い、
「また甲子園に戻ってきます。日本シリーズで」と
熱いメッセージを送った。
タテジマへの愛着と、自らの挑戦。2つの思いを胸に抱え、
悩み苦しんだ分だけ表情は晴れやかだった。虎との別れは、
新たな夢への一歩。闘将・星野仙一が甦った。

 「また、甲子園に戻ってきます。日本シリーズで。
阪神と対戦したい? 日本シリーズで会えたら最高やろ。
お互い切磋琢磨しながら甲子園に戻ってくるのが、
一番いいんじゃないですか。交流戦では、意味がない」

 2001年12月に就任会見を開いたホテルでの退団会見。
粋で力強いメッセージが“仙流”のケジメだ。「(ファンに)お礼、
感謝の意を込めた会見に」との意向で“次なる夢”の明言は避けたが、
止められない思いが次々とほとばしった。

 「ここ1、2年、何か無性に野球がしたい思いが、
ものすごく芽生えてきまして。僕は、野球がしたいんです」

 迷いなし−。楽天側との正式交渉はこれからだが、すでに監督を
受諾する意向を伝えていることが、関係者の話で明らかになった。
さらに阪神OB会長の田淵氏をヘッド兼打撃コーチとして
招へいすることも判明。前日18日、兵庫県内でゴルフを
共にした際、田淵氏本人に自ら打診したという。

 もう一度、激戦の先頭に立ちたい。そんな情熱が前へと突き動かす。
そしてその後ろには盟友の大きな背中は欠かせない。

 東京六大学リーグで星野氏は明大、田淵氏は法大に所属しともに
しのぎを削った間柄。1968年のドラフトで星野氏が中日、
田淵氏が阪神に1位入団し、数々の死闘を演じた。
02年の阪神監督就任の際もチーフとして入閣し、
03年に18年ぶりのリーグ優勝に導いた。08年の北京五輪でも
打撃コーチとしてタッグを組み、田淵氏も常に
「俺は仙ちゃんと一蓮托生」と、固い絆を強調する。
名参謀・島野育夫氏の亡き後、闘将を支えられるのは他にいない。

 会見では、愛するタイガース、そして愛してくれたファンへ、
尽きぬ感謝の思いを何度も熱く語った闘将。「寂しいですけれど…
私もまた、新しい人生を突っ走ろうと思っています」
とすがすがしい表情で全力疾走を誓った。

 「険しいことはわかりきっていますが、そこに道があるなら、
歩いていかないと、戦っていかないといけないと。甲子園は
俺の死に場所と言いましたが、そこ(死ぬ)までいかなかったかな」

 来年1月には64歳を迎えるが、闘将はいくつになっても闘将。
死に場所は、自分が心底燃え尽きるまで、探し続ける。
虎を変えた男が、再び盟友を伴い、鷲を甦らす。

さんすぽ

『無性に野球がしたくなった』のなら
阪神タイガースでかなえてほしかったです

真弓が『優勝逃したのだから』
辞任=『星野復活!?』
すればよかったのになあ

星野さんの代わりに
中村勝広氏がフロント入りするようですが
さあどうなることやら。。。

阪神OBでなんとなく
好きじゃない人が2人います
吉田義男氏と中村勝広氏
解説している試合は外しますね


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(1)(約110人の報道陣、テレビカメラ7台の前での記者会見)

 星野SD 「2001年12月に同じホテルで就任会見し、
足かけ10年になりますが、退団会見をする運びになりました。
早いなあ〜という印象しかないです。阪神ファンには本当に大事に
していただき、愛されてきたと自負しておりますし、その中で
きょうファンにお別れをしないといけない。出会いがあれば
別れも必ずあるんだと。これが世の常。きょうはその時かなと。
タイガースには本当に良くしてもらった思い出しかないわけで、
ファンの方も含め、感謝の気持ちしかないのが、今の率直な心境です」

 ――計9年間、阪神に在籍し、今の心境は

 「寂しいといえば、寂しいですけれど、私もまた、
新しい人生を突っ走ろうと思っています」

 ――突っ走る決意を固めた理由は

 「この歳になりましてね、野球一筋できたもんですから、
ここ1、2年、何か無性に野球がしたくなって。野球がしたい
思いがものすごく芽生えてきまして。やはり私は野球人なんだなと。
ということで、阪神のオーナーにも球団社長にも、『本当に俺は
野球がしたいんだ』とわがままを言いました。本当にお互い、
いろいろ悩んだ部分もありますが、私の意志
尊重していただきまして、本当に2人に感謝していますし。
僕は野球がしたいんです」

 ――オーナーは何と

 「ずいぶん困った顔をされていましたが、最終的には
『あなたが選ぶ道を応援します』と、
そういう風な表現されていました」

 ――選ぶ道の中に、具体的に楽天監督と
いうことも挙がっていますが

 「きょうはタイガースファンにお別れ…
といったら寂しすぎますが、ファンにお礼と感謝の意を
込めた会見にしたいんで。それはそうなったときにお話します
2)――どんなシーンが思い浮かびますか?

 「数多くドラマを選手たちが作ってくれましたからね。
1つ1つあげたらキリがない。一番印象に残っているのは、
(2003年の)雨の中の御堂筋優勝パレード、神戸での
熱狂的なパレード。グラウンド外で、あれだけ感動したことはない。
これは本当に、わたしの宝です」

 ――試合では

 「ありすぎて、これというのは言えないです」

 ――あえてあげるなら

 「やはり優勝を決めた瞬間だとか。そして延長戦なり、決勝点、
サヨナラ打、そういうのに必ず矢野が絡んでいたなあ、と。
そしてお膳立てしてくれたのが、金本であったり、今岡、桧山、
彼らが本当にいい形で、私に胴上げさせてくれた。今でも
あの感触は覚えています」

 ――星野監督が来てから、タイガースは生まれ変わりました

 「『伝統の阪神巨人は死語に等しい。これをもう一度甦らせろ』と、
先輩方から言われたもんですから。いま本当に互角に、
伝統の一戦というのをみなさんにお見せすることが出来るというのは、
フロント、首脳陣のがんばりじゃないかなと、私は思っています」

 ――ファンへ

 「別れといっても、そんな寂しいもんじゃないです。
狭い日本ですから、まだまだみなさんと会えますし。
でもやっぱり、あのライトスタンドの応援はすごかった。
素晴らしかった。本当に我々を支えてくれたなと、
タイガースファンに感謝したい。それしかないですね。
本当にありがとうと言いたいです」

 ――来年以降も甲子園で星野さんを見ることができるんですね

 「そうであればいいでしょうね。また甲子園に戻ってきます。
日本シリーズで」

 (質疑応答)

 ――自分に対する不安や期待は

 「還暦を迎えて、不安…険しいことはわかりきっていますけれど。
そこに道があるなら、歩いていかないといけないだろうと。
戦っていかないといけないだろうと。そういう思いです」

 (続けて)

 「『甲子園は俺の死に場所だ』と言いましたが、そこ(死ぬ)
までいかなかったな。本当はそのまま甲子園で死にたかった。
それくらいの思いでやってきましたから、みんなががんばって
くれたのかなと。いま振り返ってみて、思いますね」

 ――阪神と戦いたい気持ちは?

 「日本シリーズで会えたら最高やろ。阪神も優勝して。
そうなってほしい。ものすごい遠い夢だろうと思うけれどね、
それを目標にやっていかなきゃいけないだろうと。
お互い切磋琢磨しながら甲子園に戻ってくるのが、
一番いいんじゃないですか。交流戦では意味がない」

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21世紀の阪神タイガースは、戦前をのぞけば歴史上最も強いチームとなった、まさに黄金時代だった。 それが、曲がり角を迎えているという感を、強くする。 星野仙一SDが、退団を表明した。 「また野球がやりたくなった」と述べている。取り沙汰されているのは
| 虎哲徒然日記 | 2010/10/22 5:11 PM |

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