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偏った選手起用に
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元巨人・阪神投手小林繁さん急死、57歳

2010.01.17 Sunday

元巨人ー阪神投手で、現日本ハム投手コーチの小林繁さんが
17日、
福井市内の病院で急死した。57歳だった。


 死因は心筋梗塞(こうそく)と見られる。

波乱に富んだ野球人生を送ってきた小林氏が、57歳の若さで他界した。関係者によると、同氏は福井市内の自宅で午前6時半に起床したが、その2時間後に「背中が痛い」と訴え、体調が急変。静子夫人のマッサージで症状は一時緩和したものの、その後に倒れた。

 同夫人が救急車の出動を要請したが、救急車が到着した時点で
既に心肺停止状態。搬送先の病院で心肺蘇生(そせい)術が施されたが、午前11時ごろに死亡が確認された。心筋梗塞による心不全だった。

 小林氏は前日に都内で行われた日本ハム本社の商品展示会に梨田監督、ダルビッシュらとともに参加。特に変わった様子はなく、いつものように冗談を飛ばしながら談笑する場面が目撃されており、その日の夜には自宅のある福井に戻っていた。今月10、11日には自らが総監督を務める中学生硬式野球チーム「オールスター福井」を指導。突然の訃報(ふほう)だった。


 小林さんは、1972年にドラフト6位で巨人に入団。
横手投げの独特なフォームで、76年から2年連続で18勝をマークした。1979年2月に江川卓との1対1の交換トレードで阪神に移籍し、その年に22勝を挙げて2度目の沢村賞に輝いた。
プロ通算139勝95敗17セーブ。

 引退後、97年から2001年まで近鉄、07年に韓国・SKでコーチを務め、09年から日本ハムで投手コーチを務めていた。

(2010年1月17日17時29分 読売新聞)

阪神に移籍したシーズン
対巨人から負けなし8勝を挙げた投球は圧巻でした

心から、ご冥福を祈ります


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空白の1日事件
江川の関係者達と巨人軍首脳の間で、江川入団への作戦は
すでに出来上がっていた。
ドラフトで指名した球団の選手への優先交渉権は1年間であるが、
実際には翌年のドラフト会議の2日前までであった。
巨人軍はドラフト会議の前日は前年のドラフトに関係なく自由にドラフト外で交渉契約ができると主張し、江川と契約した。
これを「空白の一日」という。
巨人軍はドラフト前日に江川と入団契約を済ませて入団発表を行った。
実際にはドラフト会議前日は翌日のドラフト会議に備えるための日なので、当然の事ながら野球連盟及び世論は読売グループと江川に猛反発したのだった。意地になった読売は江川入団の正当性と唱え、翌日のドラフト会議をボイコットした。
江川自身は後々「まわりにまかせていたらこうなった」と語って
自己弁護していたが、慶応大受験・渡米など事ある毎に常に黒い
「関係者」達に載せられてきた江川自身の生き方の問題が
すべての事件の温床であるだろうと思う。

意地を見せた われらがタイガース
翌日のドラフト会議を前に、アンチ巨人の筆頭格であった安藤統男コーチは岡崎球団代表のところへ、その岡崎球団代表は小津球団社長の下に
走った。社長に「巨人の横暴は許せない、阪神は江川を指名したい」
との意見を申し出るためだ。
球団再建を託されて新入団した小津社長の考えも一致していた。
タイガースにどうしても必要な戦力は即戦力の投手・外野手だったので、入団の可能性のほとんどない江川を指名する事は単なる意地であり
大きな賭けだった。
ドラフト会議当日、阪神以外にも南海・ロッテ・近鉄の3球団が
意地の指名を行った。だが、指名はしたものの実際はどの球団も
当たりくじを引いてしまわないかびびっていたという。
指名をする事に意地を見せたかったのだが、あたりを引いた時の混乱
も予想できた。当たりくじを引いたのはタイガース・岡崎代表だった。
岡崎代表は体に震えが来たと言う。入団交渉は予想通り難航した。
阪神入団を拒否する江川に、くだらない意地をはる巨人軍。
もう後に引けるはずがない。
巨人ファンだった金子コミッショナーが「阪神入団後巨人へトレード」
とするコミッショナー裁定を下した事で、ようやく巨人も
袖を降ろす言い訳ができた。
後は江川の交換要員だ。最初に巨人から提示されたのは、クラウンの時に話をまとめかけていた西本聖だったが、阪神サイドが難色を示し
「プラス野手1名なら」という要求で跳ね返した。
巨人側は新人の江川に2名の放出を行う事に難色を示し、
2年連続18勝の実績を残していたエース格の小林繁との交換で
折り合いが付いた。決定はキャンプインの前日だった。
小林はキャンプに向かうその脚で空港から球団事務所に向かった。


小林はその年22勝を上げ沢村賞を獲得した。
巨人相手には負けなしだったことで、小津球団社長と阪神の英断は
正解だったと評価された。
一方の江川は2ケ月の出場停止処分の末、6月に甲子園球場で阪神タイガースと初対決した。スタントンの本塁打1本に抑えられていたタイガースだったが、7回にラインバックが起死回生の逆転スリーランを叩き込み、江川にプロの恐ろしさを教えたのだった。
(その後は幾度となくコテンパンにやられたが)
以後、江川にはダーティーなイメージがつきまとい、
小林には悲劇のヒーローのイメージができた。

小林繁氏実働11年間の成績を以下に

巨人

1973年 0勝0敗

1974年 8勝5敗2S

1975年 5勝6敗

1976年 18勝8敗2S

1977年 18勝8敗7S

1978年 13勝12敗2S

阪神
79年 22勝9敗1S 投球回数273.2回 防御率2.89

80年 15勝14敗  投球回数280.1回 防御率3.02

81年 16勝10敗  投球回数230.0回 防御率3.01

82年 11勝9敗   投球回数163.1回 防御率3.42

83年 13勝14敗  投球回数209.0回 防御率4.05

通算5年間 77勝56敗1S 
投球回数1155.4回 
防御率3.28



通算    139勝95敗17S

 

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| The徒然★Re-Mix | 2010/01/23 11:23 AM |
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| 自由気ままに虎など ガンバレ!阪神タイガース | 2010/01/17 11:59 PM |
何気にサンスポのHPを開いたら、この記事がトップに…小林繁氏が急死…通算139勝、巨人と阪神で活躍 江川卓投手との交換トレードで阪神に移籍したことで知られる、巨人や阪神で投手として活躍した現日本ハム1軍投手コーチの小林繁氏(57)が17日、心不全のた
| パイプの部屋 | 2010/01/17 11:52 PM |

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