『100パーセント力を出せない。。。』
2009.12.10 Thursday
阪神・赤星憲広外野手(33)が引退発表の席で、思いの数々を明かした。これほどまでに苦しんでいたとは…。あまりに惜しい。
これがレッドスターの最後のトークとなった。
赤星 「球団社長も同席していただけると言われたんですが、僕の希望で、ひとりでやらせていただきたいとお願いしました。私事ですが、この度、現役を引退することを決めました。理由なんですが、当初、新聞紙上などでは頸椎ヘルニアの悪化と言われていましたが、検査を重ねるうちに『中心性脊髄損傷』と診断されまして、正直、言われたときは自分も把握できなかったし、どこまで悪いかも認識できず、引退するとはまったく想像できなかったんですが、実際、9月12日にけがをして、症状の強さは想像を絶するもので、現実を受け止めるのには時間がかかりました。もう一度、ファンの前でグラウンドに立ちたい気持ちだったんですが、いろいろな人に聞けば聞くほど、よくない状況を理解をせざるをいけなくなって。それでも現役にこだわりたい気持ちは強くて、球団の方にも報告していましたが、『引退した方がいいんじゃないか』と打診されたときには、正直、『まだ出来ます』と答えました。その中で話を進めていって、ぼく的には最後の最後まで現役を続けたかったし、『1年でも様子を見てくれないですか』とも言ったんですが、のちのち自分で球団の立場になって考えてみたら、やっぱりこれだけよくない状況を考えて、球団の方も引退した方がいいと言ってくれたと思いますし。正直、やめるなんて全く思ってもみなかったんで、今でも実感がわかないというのが本当の気持ちです。これだけたくさんの人の前で、カシャカシャとカメラでとられるというのも、何と表現していいかわからないのが現実。ただ、自分の中で決めた一つの理由の中に、病院にいって話をする中で、今後やってしまったら、不随になる可能性もかなりあると。最悪、命にもかかわると言われて。万が一ですが。自分の中で、そういう危険なプレーをしなければいい、という思いもありましたし、気をつけていけば続けられるんじゃないかという気持ちもあったんですが、プロ野球選手として、プロのアスリートとして、僕は100%の力を毎試合出せなければ、他の選手に勝つことはできないと思ってやってきた選手なんで。これでプレーを続けられても、100%のプレーを出せるかといえば、どっかしらでセーブしなければいけないという恐怖感もあるし、やはりプロとして身を引くべきじゃないかと」
--両親には
「それも決め手の一つというか、両親に話をして、何というかなと。体のことを第一に考えてくれて、続けると言ったら止めないとと思っていてくれたみたいで。『9年間、よくがんばってじゃないか。もういいでしょ』と言ってもらいました」
--9年間の思い出は
「振り返りたくないですが、2003年の優勝の時のサヨナラヒットは、よかったことでは一番。僕の中での一番は、05年日本シリーズで、ロッテに4連敗したこと。正直、日本一になれると思って戦って、力の差を痛感した。あのときの悔しさがあるからこそ、みんな日本一になりたいと思っていると思うし、それを果たせずに辞めていくのは、残念です」
--回復して、引退撤回などは
「そういう奇跡が起こればうれしいことですが、今はそこまで考えられません」
--今後は
「僕から野球をとることは無理なんで。必ず、球界の発展の力になれればと。野球チームも持っていますし、その子たちがプロ野球を目指す希望にもなりたい」
--ファンへは
「9年間、本当にこれだけたくさん応援してくれたからこそ、ここまで成長できたんで。ファンの人たちと優勝して、みんなと気持ちを分かち合う経験をさせてもらって…。勇気と希望をもらいました。ヤジに反応して怒ったこともいい思い出です。あの大歓声で野球をできないのは寂しいですが…。僕は阪神を引退しますが、僕も阪神を応援する身として、果たせなかった日本一を託すしかないんで。阪神が、阪神ファンが、球界を盛り上げていけたらと思います」
(引退会見後、甲子園のセンター付近で、車いす贈呈式)
「球団の方に、無理をいって、最後にこの場所でやりたいと。センターの芝生の上でやりたいと。これが最後と思うと、寂しい気がします。(13日に)甲子園ボウルがあるのに、無理いってやってもらいました」
--今後の具体的なプランは
「すべて何も考えられない状況なんで。これからゆっくり考えていく時間にしたいと思います」
--センターからの景色は
「久しぶり。広いなと思うし、いい球場だなと改めて思います。ここに守っていたと思うと、寂しいですね」
--自分に声をかけるとしたら
「お疲れ様としか言えないです。いろいろな苦労をしたし、よくがんばった、お疲れ様と。ゆっくり体を休めなと言ってやりたいです」
(室内練習場に場所を移して)
--会見で泣かなかった
「3回くらい、きましたけど。きょうは貫き通そうと思っていたんで。僕の中で、泣いたら、すごくいろいろなことを後悔しそうと思ったんで」
--チームメートに引退を明かしたのは
「きのうです。(情報が外に)出ないように、選手にも言わなかった。最後は僕なりのやり方で(発表)したかった。はっきり選手に言ったのはきのうです。ただ、金本さんとは12月に食事にいって、遠回しにいっていたんで、『そうか、そういう風にしたんだな』と。新井はビックリしていました」
--真弓監督は
「はっきりとはまだ伝えていないんで、これから連絡します。現場スタッフにも改めて、ごあいさつしたいです」
--完全燃焼した気持ちは
「ないです。まだ出来る気持ちが強かったんで。ケガさえなければと。現実を受け止めるまでは、復帰する気持ちでいたんで。10月中旬まで、外に出られない状態でも、みんなの試合を見ながら何とか復帰しようと思っていたんで。決めたのはつい最近。完全燃焼できたかと言われたら、出来ていないです」
--けがとの戦いだった
「ここ3年は、言葉に表せないくらいしんどかったです。寝れないほど悩むこともあったし。自分が悪者になっても、チームのことも考えないといけないとか。最後の3年間は、9年分に感じた3年間でした」
--将来の指導者に?
「野球しかしていなかったし、この先どういう方向に進むかわからないですが、野球以外のこともやってみたいとも思いますし、きょうから考えることなんで。もちろん、そういう(指導者の)機会があれば、今までの経験も生かしたいし、そのためにもいい状態にしておかないと。(今は話を)受けられる状態じゃないし、受けられるなら、プレーをしています」
さんすぽ
昨日の記者で
思わずもらい泣きをしました
昨日の会見の場にくるまで
相当悩んだことが表情にでていました
赤星選手のことだから
きっとまた笑顔で球界『阪神』に復帰してくれることでしょう
9年間あっというまに走り抜けて、
多くの思い出と記録を残してくれました
お疲れ様でした
そして、どうもありがとう


これがレッドスターの最後のトークとなった。
赤星 「球団社長も同席していただけると言われたんですが、僕の希望で、ひとりでやらせていただきたいとお願いしました。私事ですが、この度、現役を引退することを決めました。理由なんですが、当初、新聞紙上などでは頸椎ヘルニアの悪化と言われていましたが、検査を重ねるうちに『中心性脊髄損傷』と診断されまして、正直、言われたときは自分も把握できなかったし、どこまで悪いかも認識できず、引退するとはまったく想像できなかったんですが、実際、9月12日にけがをして、症状の強さは想像を絶するもので、現実を受け止めるのには時間がかかりました。もう一度、ファンの前でグラウンドに立ちたい気持ちだったんですが、いろいろな人に聞けば聞くほど、よくない状況を理解をせざるをいけなくなって。それでも現役にこだわりたい気持ちは強くて、球団の方にも報告していましたが、『引退した方がいいんじゃないか』と打診されたときには、正直、『まだ出来ます』と答えました。その中で話を進めていって、ぼく的には最後の最後まで現役を続けたかったし、『1年でも様子を見てくれないですか』とも言ったんですが、のちのち自分で球団の立場になって考えてみたら、やっぱりこれだけよくない状況を考えて、球団の方も引退した方がいいと言ってくれたと思いますし。正直、やめるなんて全く思ってもみなかったんで、今でも実感がわかないというのが本当の気持ちです。これだけたくさんの人の前で、カシャカシャとカメラでとられるというのも、何と表現していいかわからないのが現実。ただ、自分の中で決めた一つの理由の中に、病院にいって話をする中で、今後やってしまったら、不随になる可能性もかなりあると。最悪、命にもかかわると言われて。万が一ですが。自分の中で、そういう危険なプレーをしなければいい、という思いもありましたし、気をつけていけば続けられるんじゃないかという気持ちもあったんですが、プロ野球選手として、プロのアスリートとして、僕は100%の力を毎試合出せなければ、他の選手に勝つことはできないと思ってやってきた選手なんで。これでプレーを続けられても、100%のプレーを出せるかといえば、どっかしらでセーブしなければいけないという恐怖感もあるし、やはりプロとして身を引くべきじゃないかと」
--両親には
「それも決め手の一つというか、両親に話をして、何というかなと。体のことを第一に考えてくれて、続けると言ったら止めないとと思っていてくれたみたいで。『9年間、よくがんばってじゃないか。もういいでしょ』と言ってもらいました」
--9年間の思い出は
「振り返りたくないですが、2003年の優勝の時のサヨナラヒットは、よかったことでは一番。僕の中での一番は、05年日本シリーズで、ロッテに4連敗したこと。正直、日本一になれると思って戦って、力の差を痛感した。あのときの悔しさがあるからこそ、みんな日本一になりたいと思っていると思うし、それを果たせずに辞めていくのは、残念です」
--回復して、引退撤回などは
「そういう奇跡が起こればうれしいことですが、今はそこまで考えられません」
--今後は
「僕から野球をとることは無理なんで。必ず、球界の発展の力になれればと。野球チームも持っていますし、その子たちがプロ野球を目指す希望にもなりたい」
--ファンへは
「9年間、本当にこれだけたくさん応援してくれたからこそ、ここまで成長できたんで。ファンの人たちと優勝して、みんなと気持ちを分かち合う経験をさせてもらって…。勇気と希望をもらいました。ヤジに反応して怒ったこともいい思い出です。あの大歓声で野球をできないのは寂しいですが…。僕は阪神を引退しますが、僕も阪神を応援する身として、果たせなかった日本一を託すしかないんで。阪神が、阪神ファンが、球界を盛り上げていけたらと思います」
(引退会見後、甲子園のセンター付近で、車いす贈呈式)
「球団の方に、無理をいって、最後にこの場所でやりたいと。センターの芝生の上でやりたいと。これが最後と思うと、寂しい気がします。(13日に)甲子園ボウルがあるのに、無理いってやってもらいました」
--今後の具体的なプランは
「すべて何も考えられない状況なんで。これからゆっくり考えていく時間にしたいと思います」
--センターからの景色は
「久しぶり。広いなと思うし、いい球場だなと改めて思います。ここに守っていたと思うと、寂しいですね」
--自分に声をかけるとしたら
「お疲れ様としか言えないです。いろいろな苦労をしたし、よくがんばった、お疲れ様と。ゆっくり体を休めなと言ってやりたいです」
(室内練習場に場所を移して)
--会見で泣かなかった
「3回くらい、きましたけど。きょうは貫き通そうと思っていたんで。僕の中で、泣いたら、すごくいろいろなことを後悔しそうと思ったんで」
--チームメートに引退を明かしたのは
「きのうです。(情報が外に)出ないように、選手にも言わなかった。最後は僕なりのやり方で(発表)したかった。はっきり選手に言ったのはきのうです。ただ、金本さんとは12月に食事にいって、遠回しにいっていたんで、『そうか、そういう風にしたんだな』と。新井はビックリしていました」
--真弓監督は
「はっきりとはまだ伝えていないんで、これから連絡します。現場スタッフにも改めて、ごあいさつしたいです」
--完全燃焼した気持ちは
「ないです。まだ出来る気持ちが強かったんで。ケガさえなければと。現実を受け止めるまでは、復帰する気持ちでいたんで。10月中旬まで、外に出られない状態でも、みんなの試合を見ながら何とか復帰しようと思っていたんで。決めたのはつい最近。完全燃焼できたかと言われたら、出来ていないです」
--けがとの戦いだった
「ここ3年は、言葉に表せないくらいしんどかったです。寝れないほど悩むこともあったし。自分が悪者になっても、チームのことも考えないといけないとか。最後の3年間は、9年分に感じた3年間でした」
--将来の指導者に?
「野球しかしていなかったし、この先どういう方向に進むかわからないですが、野球以外のこともやってみたいとも思いますし、きょうから考えることなんで。もちろん、そういう(指導者の)機会があれば、今までの経験も生かしたいし、そのためにもいい状態にしておかないと。(今は話を)受けられる状態じゃないし、受けられるなら、プレーをしています」
さんすぽ
昨日の記者で
思わずもらい泣きをしました
昨日の会見の場にくるまで
相当悩んだことが表情にでていました
赤星選手のことだから
きっとまた笑顔で球界『阪神』に復帰してくれることでしょう
9年間あっというまに走り抜けて、
多くの思い出と記録を残してくれました
お疲れ様でした
そして、どうもありがとう



