掛布雅之氏のことを書く。
2012.09.21 Friday
彼とは1979年(昭和54年)に「トラ番」を
拝命して以来の付き合いである。
「掛布はどうして阪神の監督にならないの?」
「なぜ、阪神ファンを裏切って読売系の解説者に?」
多くの人から質問されるたびに心が痛んだ。
● ●
88年に引退して以来24年経ったいまも、阪神から
「監督要請」が来ない最大の要因は、87年3月に起こした
「飲酒運転事件」にある。
知人の結婚披露宴に出席したその帰り、高速道路での
検問で現行犯逮捕されたのだ。当時、阪神電鉄の社長だった
久万俊二郎オーナー(故人)は「ウチの4番は欠陥商品」
と酷評。そして「私の目の黒いうちは、彼を絶対に
ウチの監督にはしない」と周囲に語ったといわれている。
阪神復帰への扉は閉じられた。それでも掛布氏は
「ボクはタイガースのファンに育ててもらった人間。
だからまず一番に、阪神ファンに恩返ししなきゃいけない。
他の球団のユニホームを着るのはそのあと」と、ずっと待ち続けた。
拝命して以来の付き合いである。
「掛布はどうして阪神の監督にならないの?」
「なぜ、阪神ファンを裏切って読売系の解説者に?」
多くの人から質問されるたびに心が痛んだ。
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88年に引退して以来24年経ったいまも、阪神から
「監督要請」が来ない最大の要因は、87年3月に起こした
「飲酒運転事件」にある。
知人の結婚披露宴に出席したその帰り、高速道路での
検問で現行犯逮捕されたのだ。当時、阪神電鉄の社長だった
久万俊二郎オーナー(故人)は「ウチの4番は欠陥商品」
と酷評。そして「私の目の黒いうちは、彼を絶対に
ウチの監督にはしない」と周囲に語ったといわれている。
阪神復帰への扉は閉じられた。それでも掛布氏は
「ボクはタイガースのファンに育ててもらった人間。
だからまず一番に、阪神ファンに恩返ししなきゃいけない。
他の球団のユニホームを着るのはそのあと」と、ずっと待ち続けた。